ふりかえり

ナイーブ版()今年1年ふりかえり


ただ記憶を留めておきたいという軽い気持ちで書き始めたら思いの外長くなった




2回生の5月ごろにぼんやり休団か退団かしようかなってぼんやり考えてた。ソロコンで燃え尽きたのもあったしなんとなくその時の阪吹に楽しさを見いだせていなかった、というのもソロってほんとに自由でできるかできないかがほとんどすべて自分の裁量にかかってるんだけど、合奏の場合はそうもいかなくて他の人と音が合わなかったり他の人の表現が気に入らなかったりそういう他の人と協力してつくるものだからこその問題をとても厄介なものだと思っていた、実際それらの厄介さは自分が動こうとしないのもあって改善されることなく、練習でも改善されていくことなく、本番を迎えた。今思えば自分で楽しくしようとしてなかっただけでクソなんだけどぼんやり楽しくないなぁ辞めようかなぁ今が潮時だなぁって考えていた

オフ期間を迎えて次期セクリの立候補が始まる。なればいいのにとか何度となく言われていたがそもそも辞めようかと思っているのだからなりたくない。スッと消えるつもりだったから。でもsj&p_16が楽しかったのもあるし、クッソやる気無いなかでまちかねに参加して多少モチベーションが回復せざるを得なくなったのもあってぼんやり続けてみてもいいかなという気になってくる。でもまだまだセクリはやりたくなかった。もうそんなにのめり込みたくもないしキャパオーバーになることも自分の才能では足りないこともわかっていたから。1回目の募集締め切りで木セクは誰もでなかった、2回目でも。合宿前に決めてしまいたい同期が苛々してそうだなぁと思ったり勝手に責任を感じたりした。でもやるからには積極的な理由でやりたいなと思って、色々考えて立候補した。なりたくなかったとかならなきゃよかったとか絶対思わないようにしようとその日から決意して覚悟を決めた。

、、、決めたけど無理だったな。この1年何度となくなんでやろうとしたんだろって考えが浮かんできてはそれを振り払ってきた。効果的な練習をできてないなって思ったし伝わってないだろうなって思った。沈黙もとても怖かった。ひとつひとつの言葉が自分のことのように思えて(敵意帰属バイアス的な)勝手に言葉に刺されに行ってた。そして自分をメタ的に認識するもう1人の自分(もしあうるが先輩として存在したときの後輩としての自分)があうる先輩を絶対嫌いなのが1番耐え難かった。後輩としての自分に嫌われること自体も辛かったし、わたしが後輩だったらなんも考えずに自分にはもっとできると勘違いしているという事実があるからこそ今のゴミな自分がいるんだろうと思った。ほんとにけんじが分身してやればいいのにとかめどくんがやればいいのにとか他でもたくさん思いかけて思わないようにしようと努めていた。自分で積極的に決めたことなんだからそういう考え方はしないようにしようと決めてたから。

限度が来たのが秋合宿直前くらい。セク練でやる内容が思い浮かばない・やっても効果あるんか・受け入れてもらえなさそう・D練の準備も終わらない・お披露目のぱりちゃんに負けたくない、、、いろんな感情でただでさえでもキャパーオーバーだったのがオーバーしすぎてなにもキャパに収まろうとしなくなった、キャパの箱に入っているものが何もなくて身動き取れない。秋合宿では本当に死んだ。情けなさすぎてずっと考えないようにしてたことをついに考えてしまった。なんで木セクなんてしてるんだろ、なんでやるなんて言ってしまったんだろう、なんであの時吹奏楽を続けるなんて判断をしたんだろう、やめときゃよかったのかな、苦しいことだらけなのになんで吹奏楽してるんだろ、楽しいことなんてなにひとつないのに、、、

これまで誰にも話したことなかったけどばっしーと合宿最終日になってお話できた。話すのはとても勇気がいったしばっしーが本音で色々話してくれた後も自分も本音を言っていいのか躊躇しまくった、それでも言えて本当にだいぶ楽になった、あの時話さなかったら過食が止まらないままで今頃どこかで倒れてそう(笑)(過食はほんとに深刻にやばかった)


それでもマイナス思考は止まらなくて帰りのバスでもなんで続けてるんだろう、やめたい、でも今辞めたらさすがに迷惑だからやめれない、でもやめたい、大学終わったら吹奏楽やめてるかもなってぼんやり考えてたら涙が止まらなかった、ずっと後ろ向きだった

色々考えてしまうと涙が止まらなくなる。大学に向かって歩いているだけでも考えてしまって涙が止まらなくなる。なんも考えないために思いつくことが音楽を聴くことしかなかった。元気が出る大好きな曲をSpotifyで漁っていて気がついたら指が勝手にコッツウォルドシンフォニーを再生してた。もともと大好きな曲で秋合宿の直前に生でシオンの演奏で聴けた。あのしあわせな瞬間を再生したいと無意識に思ったんだろうか。耳に流れてくる爽やかなサウンド。ああこの曲好きだなぁ。そう思った。そう思った時に膝から崩れ落ちた。なんで吹奏楽の曲聴いてるんだ。もう続けないかもとか苦しいとか思った吹奏楽の曲を聴いてた。本当に本当は吹奏楽が大好きな自分がそこにはいた。コッツウォルドを聴いて幸せそうな顔をしてる自分が対極にいた。なんだかその自分と目が合った気がした。逃げられない。そいつが後悔しないためにも今の自分にできることをやって最後まで悪足掻きしようと思えた。これは自分にありがとう。(これがあのツイートの中身)それからしばらくして過食も止まった。

考えてみれば自分の話をたくさん聞いてくれて励ましたり信頼してくれる同期もいる。元気なさげな時に限ってくっそしょーもない話をして笑わせてくれる人もいる。元気にしてくれた。たくさん支えられた。特にうらあか界隈(笑)ありがとう

後輩にも本当に救われたな。あんな大好きって軽い気持ちで(褒めてる)言ってくれる後輩を持ったのは初めてで(そりゃ初めてだ)こんなゴミあうるでも慕ってくれていることがありがたかった、本当にうれしかったし救われまくった心底ありがとうだし大好き

録音聴いているとどの曲も思い入れがあって取り組んだ部分とかうまくいってるのを聴いたりして泣けた。特に低音は常にサウンドがよくて泣けた(自画自賛

今まで所属したバンドの中で1番好きな音の低音です。

なんだかんだやってよかったなと思えてよかった

ボイラーから家に帰る第一弾では、ボイラーの帰り道にごはんに行くことなくなるなぁとかこの帰り道に歩きながら泣けてたなとか色々思い出してもうあんな苦しむことはないのかとか考えてたら良い意味で涙が止まらなくなった(歩きながら泣くあたり成長はないけど)。このままじゃ後ろ向きだなと思ってばっしーと連絡とってまたボイラーに戻ってお話できてとってもとってもスッキリできた。爽やかで前向きな気持ちになれた。あっちでもかいてたけどありがとう。あの日は泣きすぎて頭痛くなって死にかけたけど(笑)切り替えられました。

宛名書きも色紙も手紙もラインも(笑)読んで泣けた。くれた各位(ここでかいてる時点で伝わらない)ありがとう


なんもまとまってないけどあんまよくない記憶も留めておきたくて覚書程度の感覚の自己満日記でした


強くなれたな、ありがとう阪吹、goodbye阪吹